豊田町浮石の家

敷地は、山口県下関市豊田町、本州の最西端の内陸部にある。山口宇部空港から西へ車で一時間半ほど、地図上では南、西、北と三方を海に囲まれているが、それなりに距離もある。

現地へ視察に訪れた際に、空港から敷地に近づくにつれ家並みに統一感が出てくることに気がつく。屋根瓦が同じ産地のもので揃っていることや、その他の材料、プロポーションといった建築的ヒントが、理解を助けてくれる。ただ、改めてその背景を考えると、その時々の住宅市場の流行に流されていない、ということが、大きな要因であるように思えた。立地上、材料や工法の流通が限られていたから、といえば、説明がついてしまうのかもしれないし、日本中で同じような状況があるような気もする。しかしここで大切にしたいのは、何代にも渡って、大切に家を扱ってきた人々の営みだ。今回の関係者が、おおいにそれを感じさせてくれたのである。

さて、今回の計画、明治?江戸?ころから建つ家を改修する、ということが出発点だった。老朽化が進んでいるうえに必要以上に大きいため改善したいが、家のもつ歴史を大切にして残せるものは残したい、という訳である。 資料はほとんどなかったが、よくよく観察すると、かなり昔の部分、それなりに昔の部分、昭和の頃の部分、と原型から増改築が繰り返されてきたことが分かった。そして時代をさかのぼるほど、大きな木材で構成されていた。そこでまずはその原型部分を残す方法から考えた。しかし、基礎の状態が悪いので構造材の利用を検討するも、肝心な柱や梁の痛みも酷く、結果的には物質的な再使用断念せざるを得なかった。ただ、本質的に考え直すと、残したいものは物質的なことではなく、そこでの営みであり、そこでの記憶のようなものであった。

いちばん古くからある2間続きの和室を中心と捉え間取りとして残し、一部の構造材は力強く表したまま、縁側やその他の空間を連続させる。そのうえに大きな切り妻屋根を掛けた。

方位や配置ついては基本的には既存建物の構成を踏襲しつつも、活かしきれていなかった東(奥側)や南(仏壇の背中側)にも大胆な開口部ができるよう考えた。東西方向には両側に完全に引込むことのできる建具による開口部の風景にも連続させた。もちろん心地よい風も通り抜けて行く。南北方向は、仏壇や床の間、寝室などが配置され、平面的には開放しづらい構成であったが、切り妻屋根の妻側の三角の部分を開放することで、大らかな光を呼込み、視覚的な抜けを獲得した。 そのため、切り妻屋根は、棟木もそれを支える束もない状態で構造材が組まれるように工夫がされている。同一寸法の登り梁が連続する屋根の下は、ひと続きのワンルームとも言えるし、その下の天井まで届かない壁が諸スペースを適切に分離しつつ安心感のある居場所うみだす。

間取りを踏襲し、素朴な材料を使い、風景に馴染むような佇まいを目指しながらも、新しい躍動感を与えたかったのだと思う。地域やそこで流れる営みをリスペクトしながらも、我々がすべきこと(できること)として、自然とたどり着いた結果であったと、満足している。


豊田町浮石の家

用途:個人受託
所在:下関市豊田町浮石
竣工:2012年12月
構造:木造
階数:地上1階

建築面積:81.79m²
延床面積:72.45m²
設計:佐久間徹設計事務所
構造:筬島建築構造設計事務所
施工:山下建設
撮影:宮崎 富嗣成

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